スポーツ界全体を盛り上げる理学療法士でありたい(アンプティーサッカー日本代表トレーナー 増田氏)
アンプティーサッカー日本代表トレーナーとして、メキシコで開催されたワールドカップに帯同、大阪のアンプティーサッカーチームの監督、コーチ兼トレーナーも務める。リハビリテーション病院、整形外科クリニックでの勤務を経て、現在はセレッソ大阪ユースチームのトレーナーとスポーツジムのパーソナルトレーナーとして活動している増田PT。
「スポーツに関わるPTでありたい」、その思いを持ち、走り続けてきた増田PTのキャリアについて聞いてみました。
目次
「スポーツに関わる仕事がしたい」という思いがはじまり
―PTを目指そうと思ったきっかけを教えて下さい。
増田:小学校低学年の頃、サッカーを始めました。当時の夢は、プロサッカー選手になることでした。
しかし、何度も何度も怪我を繰り返し、能力的な限界も感じたので、小学校高学年になる頃には、サッカー選手になる夢を諦めていました・・・。
しかし、サッカー選手は無理でも、「スポーツに関わる仕事がしたい」という思いが強くなり、選手のそばで活躍出来る「トレーナーになりたい」という夢を持つようになりました。
「トレーナー」について調べていくと、チームに帯同し、トレーナーとして怪我を治す・怪我をし辛くなる身体づくりをサポートするPTの存在を知りました。そして、中学生になる頃には、「PTになる」という夢を持つようになりました。
―今までのキャリアについて教えて頂けますか?
増田:現在、PT8年目です。専門学校卒業後に、大阪府阪南市内のリハビリテーション病院に入職しました。
そこでは5年間、高齢者の方を中心に脳梗塞等で後遺症が残った方々のリハビリに携わり、、訪問リハビリの立ち上げも行いました。
しかし、スポーツに関わる仕事がなかなか出来なかったので、半ば夢を諦めかけていました・・・。
そんな中、「アンプティーサッカー」について知り、「スポーツに関わる仕事が出来るのではないか」と思い、スポーツトレーナーに関する勉強を始めました。
その際、このままリハビリテーション病院にいても、スポーツに関わることは少ないと思い、整形外科クリニックだと、スポーツに関わる若者と接することも出来るのではないかと思いました。
また、「自分の手で患者様を治せるような技術を身に付けよう」という目標もあったので、「自分がもっと頑張らなければ」と自分に負荷を掛けられる環境に身を置きたいと思ったので、整形外科クリニックへの転職を決意しました。
整形外科クリニックには、3年いました。
そこでは、リハビリテーション病院と違い、怪我が慢性化してしまった患者様が多く、それを治すためには、もっと自分のスキルが必要だと感じました。
また、転職した整形外科では、PTは自分を含めて2人しかいなかったので、「自分が頑張らなければ」という責任感も強く感じられる職場でした。そこでは、デイケアの立ち上げも行いました。
クリニックに勤めている期間は、通常業務のことで分からないことがあれば、昼夜問わず自ら勉強し、休日には「アンプティーサッカー」に関する研修やスポンサー集めに関わるような活動を行いました。
そのような活動を続けた結果、クリニックに勤務しながらでも、アンプティーサッカーの日本代表トレーナーとして海外の大会に帯同できるようになりました。
―転職活動はどのようにされたのですか?
増田:転職を決意するまで、大阪府の理学療法士協会の仕事を手伝わせて頂いていたので、何人かの方から声を掛けて頂く機会はありました。
しかし、そういった”人のつながり”で転職するのではなく、自分のやりたいことをやらせてもらえるような環境を自分で探して、スポーツに関われるような環境に身を置きたいと思っていました。
そこで、整形外科クリニックの求人にたどり着いたのです。
「アンプティーサッカー日本代表」のトレーナーを経験して
―アンプティーサッカー日本代表に帯同されたことで、増田PTの中でどのような変化がありましたか?
増田: 帯同してみて、健常者であれ、障害者であっても、一生懸命頑張っている選手を応援したいと強く思いました。
また、アンプティーサッカーはまだまだマイナースポーツであり、他のスポーツと違って、書店などにアンプティーサッカー選手専用のトレーニングのノウハウ本などがありません。
そんな環境下で、PTとして培ってきた知識を総動員して、選手のトレーニングや動作分析を行うことは大変面白いものです。
実際に、自分が杖(クラッチ)の使い方などを知らないと何も指導も出来ないので、私自身、選手と同じように杖を使って練習して、トレーニングの指導をしています。
―アンプティーサッカーと健常者サッカーでは、トレーニングの指導方法に違いはありますか?
増田:杖を使って走り続けなければならないので、全身を使う必要があります。
そのための体力や腕の筋肉、体幹、杖を使ってボールを蹴る練習などに対して、PTの立場から動作指導などをしています。
―アンプティーサッカーメキシコ大会に帯同されて、何か面白い体験談などがあれば、教えて頂けますか?
増田:選手と交流したり、スタッフ対抗ワールドカップも開きました。
ドイツ人やフランス人、アンゴラ人、アメリカ人と一緒にチームを組みました。「右!右!」とか言って、皆で走り回っていました。最後にはユニフォーム交換もしましたよ! (笑)
―ワールドカップには、実費で参加されたのですか?
増田:今まで、アンプティーサッカー日本代表は3回ワールドカップに出場しています。
1回目はアルゼンチン大会、2回目がロシア大会、3回目は私が帯同させて頂いたメキシコ大会です。
基本的にはマイナー競技なので、1 回目のアルゼンチン大会は高額な金額を実費で払ったそうです。 2 回目のロシア大会からは、スポンサーも何社か増えましたが、メキシコでも不足金は選手、スタッフは実費を出して参加しました。
その辺りが、メジャーなスポーツとの違いで苦労する点です。
―大阪のチームでは、トレーナーだけでなく、監督やコーチなどとしても活躍されているということは、選手をまとめる必要があると思いますが、組織運営などのご経験はありましたか?
増田:元々、自分から前に出ることが得意な性格ではなかったので、組織運営の経験は全くありませんでした。
ですが、監督としてチームを運営しなければならないので、PTの勉強以外に、経営学やリーダーの成功哲学や営業セールスの本などを読みまくっていました。そうしていくうちに、「今のチームに必要なものは何なのか」を考えるようになりました。
このような考え方は、社会に出ると必要なことだと思うので、決して無駄ではなかったと思います。
インプットとアウトプットの割合を変える
―勉強会に行かれる頻度はどれくらいでしたか?
増田:PTになった当初は、よく勉強会に行っていましたが、最近は勉強会の頻度を減らしました。
当初は勉強会に行くことで満足しており、インプット重視でした。
しかし、今では、インプットした知識をいかにアウトプットするかが重要だと考えています。
「アウトプットする」というのは、「実際に患者様に接する」ということです。
そこで、インプットとアウトプットの割合を変えました。勉強会で得た知識を自分の中で落とし込む時間を持つようにしました。その中で、悩みが出たらインプットをする、そしてアウトプットを磨くための場数を踏むサイクルを持つようにしました。
―パーソナルトレーナーとしても活動されてるということですが、お金をもらうことに抵抗はありましたか?
増田:当初は抵抗があったので、はじめは、トレーニングをした対価として食事をご馳走になっていました。(笑)
しかし、ある日、私がトレーナーを務めるスケートボーダーを目指すお子さんのお母様から、「金額を設定してもらった方が、こちらとしてもやりやすい。お金は信用なんだから。」という言葉を掛けて頂いて、お金は取られるものではなく、お客様に喜んで頂いた分の対価だと思えるようになりました。
それをきっかけに、お金もらうことに抵抗は無くなりました。
ロードレースの大会で、選手のコンディショニングを行う増田PT
「スポーツのトレーナーはPTだ」と言われるようになりたい
―PTの職域の可能性を教えて下さい。
増田:スポーツの世界は、優秀なトレーナーを探しています。
テーピングをうまく巻けるトレーナーよりも、パフォーマンスを上げてくれるようなトレーナーを選手も必要としていると思います。
また、マイナーなスポーツの選手達にも目を向けることで、スポーツ業界全体も盛り上がり、PTの需要も増えてくると思います。
―今後のキャリアについて教えて頂けますか?
増田: 今年の9月にクリニックを辞めてから、タイに在住する知り合いに誘われて、1か月間、タイに渡航し、「タイホンダFC」というプロサッカーチームのトレーナーや、現地で働く日本人や日経企業の従業員の身体をみていました。
その間は、PTとしてのスキルを提供する代わりに、食費や住まいを提供してもらっていました。生活とスキルの交換ですね…。(笑)
タイのPTは、まだ日本のPTのようにリハビリの計画を立てることが習慣化されていなかったりします。
そのため、日本人のPTは仕事も丁寧ですし、タイでは習慣化されていないようなPTの仕事を教えることができるので、アジアではニーズがあると思います。
今後はどんどん海外に出ていくPTが増えていくと思います。
このタイでの経験から、広い視野を持つことが出来ましたし、自分に自信を持つことも出来ました。
こういった経験を通じて、「もっとスポーツに関わるPTになりたい」という思いを持つことが出来ました。
今後は、老若男女関無く、誰でもいきいきとスポーツ出来るようなサポートをしてきたいと思っています。
―最後になりますが、若者達にメッセージをお願いします。
増田: 20代は大いに悩み、苦労し、失敗して下さい。
もし、「将来、何がしたいのか分からない」と悩んでいるならば、まずは、目の前のことに一生懸命取り組んでみて下さい。
「やりたいこと」、「楽しいこと」を探すのも重要ですが、目の前のことを一生懸命やってみることで、毎日が楽しくなります。
現状を変えることが出来るのは、自分次第です。また、PTになったきっかけを思い出してみるのも重要です。
最初の思いを叶えるための行動をしてみると、毎日も充実してくると思います。
プロフィール
増田勇樹PT
現在、PT8年目。整形外科クリニックに勤務中に、アンプティ―サッカー日本代表トレーナーとして、メキシコワールドカップに帯同。現在は、セレッソ大阪トレーナーと、スポーツジムにてパーソナルトレーナーを務める。