「資格」に依存しない働き方(合同会社シクロ 山崎氏)

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合同会社シクロ(大阪市西成区)の山崎社長。
大学卒業後より、ケアマネジャーとして勤務する傍ら、夜間制の養成校に通学し、2006年3月(当時30歳)にPTの国家試験に合格。
PT3年目の2008年6月(当時32歳)にシクロケアプランセンターを設立し、地域密着型で介護・福祉事業を展開。シクロをスタッフ100名以上が在籍する企業に成長させた。 ケアマネとPTの資格を持ち、会社経営者として活躍する山崎社長のキャリアについて、聞いてみました。


利用者様の後押しに応えた会社 それがシクロ

― ヘルパーとケアマネのご経験があるとお伺いしましたが。

山崎:はい、阪神・淡路大震災(1995年1月17日:当時18歳)をきっかけに、西宮でヘルパーのアルバイトを始めました。センター試験直後の出来事でしたので、良く覚えています。 大学入学後もヘルパーのアルバイトを続け、卒業後は介護・福祉業界の会社に、ケアマネとして就職しました。同級生の大半は、介護・福祉以外の業界で営業職の仕事に就きましたが、私は「数字」に追われるような仕事には就きたくなかったんです。

でも、就職した会社が、利益追求型の株式会社でしたので、働き出してからは「数字」に追われることが多かったですね。(笑)経営陣が数字に厳しかったんです。その一方、「数字」さえ達成していれば、自身の裁量で仕事をすすめられる環境でしたので、ケアマネとして勤務しながらも、夜間制の学校(理学療法学科)に通学することができました。

 

― PTの資格を取ってからは、どのような仕事を経験されたのですか?

山崎: PT1年目(2006年)の年に、訪問リハを立ち上げました。
病院への就職も考えたのですが、既に30歳、ケアマネ(管理職)としてある程度の収入がありましたので、新卒の待遇で働くことには少なからず抵抗があったんです。だから、ケアマネの仕事を続けながら、(ケアマネの)経験とPTの「資格」を活かせる仕事ができないかと模索しました。そこで、訪問リハに至ったわけです。そういった経緯で、クリニックの医師に訪問リハの立ち上げを提案し、1人目のスタッフとして、その全てを任せて貰いました。

振り返ると、1年目でケアマネと訪問リハを掛け持ちしていた頃が、最も収入が高かったかもしれませんね。ただ、2年目の年からは、クリニックに常勤PTが入職し、訪問リハの仕事を移管したので、長続きはしませんでしたが。(笑)

 

― なぜ、シクロを設立することになったのですか?

山崎:PT2年目(2007年)の終りに、会社が倒産したんですよ。
突然、国税局の人間が会社に押し寄せてきて…(詳細割愛)…驚愕でしたね。私含め従業員はもちろん大変だったわけですが、一番大変(被害を受ける)だったのは利用者様です。多くの利用者様が介護難民になりかねない中、自身の去就を考えつつ、利用者様の受入先も手配しなくてはいけない。そんな風に右往左往している私を、ある利用者様が後押ししてくれました。

「山崎さんにはずっと世話になってきた。あんたが独立してやれば良い。ついて行くよ。」
利用者様を支援してきた自分が、今度は利用者様に支援される立場になりました。その方を筆頭に多くの利用者様が、私を後押ししてくれたんです。

もう「やるしかない!」と覚悟を決めて、家中のお金(50万円)を掻き集めて、シクロケアプランセンターを設立しました。失敗しても、資格があれば、就職して食べてはいけるだろうと思っていたので、会社員でなくなることに恐怖はなかったですね。  

 

 

設立当初は現場の仕事力でスタッフを牽引

― シクロは、どのような事業から開始されたのですか?

山崎:まずは、ケアプランセンター(シクロケアプランセンター)、それから間もなく立ち上げたのが、訪問介護(シクロつるみばし)です。
これまでに会社員としてやってきたことを、自身の会社で行うようになった形ですね。私は経営のプロではありませんでしたが、ケアマネとして介護・福祉業界の仕事に長年携わってきたので、質の高いサービスを提供できる自信はありました。

 

― 経営者としての経験不足はどのように補ったのですか?

山崎:仕事を自分で出来そうにないこと、自分で出来そうなことに分けて、経営に取り組むようにしました。

自分で出来そうになかったことは財務関係(財務諸表作り、決算等)と労務関係(労働契約、福利厚生の整備等)です。企業には法律上順守しなくてはいけないルールが沢山あります。そういったことは、自身で一から学ぶのではなく、税理士、社労士といった専門家に任せるようにしましたね。

一方で、スタッフの採用や教育については、会社員時代に学んだことを活かしつつ、自身でも工夫して取り組むようにしました。
まず、採用で工夫したのは、身内・友達を雇わないようにしたことです。立ち上げ間もない会社に身内を誘い辛かったこともありますが、何より既に関係性が出来上がった人と、新しい関係性(経営者とスタッフ)を築くことに苦労したからです。怒るべきところで怒れなかったり、怒らなかったりすると、馴れ合いになりますし、他の(身内・友達関係以外の)スタッフから不平等に感じられてしまうだろうと考えました。

教育においては、特に会社員時代の経験が活かせましたね。まず、私からスタッフに伝えたのは、自分の食いぶちは、自分で稼がなくてはいけない、ということです。ケアプランセンター、訪問介護等の業態では、費用の大半が人件費なので、売上に対する人件費率を適正に保たないと、会社は潰れます。この考え方は、数字にうるさかった前職の経営陣から叩き込まれたものですが、筋は通っていましたので、自分の会社にも取り入れました。もちろん、専門家の意見も仰いでのことです。

 

― ケアマネとして現場の仕事も続けられたのですか?

山崎:はい、ケアマネの仕事は好きですし、当時は自分で売上を立てないと潰れてしまうくらいの規模でしたので、現場の仕事は続けましたよ。
そして何より、小規模な事業所では、社長に現場力がないとスタッフがついてきてくれませんので、背中で語るようにしましたね。「社長」だから、とか「資格」を持っているからとか、そういうことはスタッフにはどうでも良い事です。まずは、ケアマネの山崎と働きたい、そこから何かを学びたい、そう感じて貰えるように現場の仕事に取り組みました。  

 

 

新規事業の立ち上げ請負人を担った成長期

― ケアプランセンター、訪問介護の次は、どのような事業に着手されたのですか?

山崎:シクロ設立から2年目の年(2010年)に、福祉用具の販売・レンタル(テクノエイドシクロ)を開始しました。
この事業を開始した当時、西成区には利用者様の身体に合った福祉用具を選定するための知識を持った事業所は殆どなかったんです。また、自分自身もPTの「知見」を活かした事業を展開したいと考えていたので、やることに決めました。

 

― 企業を成長させるために、どのような役割を担われたのですか?

山崎:テクノエイドシクロが軌道に乗り、経営が安定し出した頃(設立3年目以降)からは、新規事業の立ち上げ請負人(?)のような役割を担いましたね。陣頭指揮を取って、新規事業を立ち上げ、軌道に乗れば、また新たに事業を立ち上げるといったような流れです。細かい仕事は信頼できる現場のスタッフに任せるようにしたので、テクノエイドシクロの立ち上げ以降も、どんどん新規事業を立ち上げてきましたね。

シクロ設立3年目(2011年)に立ち上げたのが、デイサービスプロトンです。
プロトンは、PTOTによるリハビリを提供する施設です。この事業を開始した当時、西成区にはPTOTのリハビリが受けられるデイサービスがなく、PTOTの認知度が低かったこともあり、リハビリ=柔整師等のマッサージ、くらいに認識されていたと思います。だから、PTである自分が、PTOTによる本格的なリハビリが受けられるデイサービスを作ろうと決めました。2015年9月現在では、デイサービス エシュロンも加わっています。

次は、シクロ設立7年目(2015年)に立ち上げたパルクール訪問看護ステーションです。
パルクールには、看護師のみでなく、PTOTが在籍し、訪問看護と訪問リハビリを提供しています。これは、デイサービスには来られない、又は来たくない利用者様にも看護・リハビリを提供しようとの想いで立ち上げました。

シクロでは、デイサービス、訪問看護ステーション以外にも、カフェ・飲食事業(アビタイユモン)や、障碍者(児)相談支援事務所(シクロソーシャルサポート)等も運営しているのですが、私はこれら全ての事業の立ち上げ時には、現場に入って仕事をしてきました。シクロでは、PTの「知見」を活かして、何ができるか、何がしたいかを考え、地域の役に立つ事業を展開してきたと自負しています。

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自身の職域拡大には仕事の本質を自覚することが必要

― 聞かせて下さい、PTの強みって何ですかね?

山崎:人を動かすスキルに長けていることではないでしょうか。

 

― もう少し具体的にお話しても宜しいでしょうか?

山崎:私は、PTは人の「心」を動かすスキルを備えているのではないか、と考えています。
ご存知の通り、PTが患者様・利用者様にリハビリを提供できる時間は、1日24時間、週168時間のうち、数時間程度です。だから、PTがリハビリで効果を出すには、PTが接していない時間に、患者様・利用者様にどれだけリハビリを頑張ってもらうかが重要になります。つまり、PTとしてリハビリの効果を出せる人は、患者様・利用者様の心に働きかけるスキルに長けているはずだということです。  

 

― おっしゃる通りだと思いますが、それはPT(先生)と患者様・利用者様の関係性があってこそでは、ないでしょうか?

山崎:そうですね。重要なのは、PTはそういう関係性を構築する仕事だということを自覚することです。
PTは職種柄、知識・技術を高めることが必要だとされていますが、その理由は患者様・利用者様との関係性を構築するためだとも考えられるはずです。小規模な介護・福祉業界の社長には、現場力が必要だと述べましたが、これも関係性の構築のためです。自分が患者様・利用者様ならば、良くならない治療を続けるPTの指示には従いませんよね?だから、PTは技術・知識を研磨しなくてはいけません。

多くのPTは、自分が治療家であることは自覚していても、自分が「人の心を動かす仕事」に従事していることは自覚していないように感じます。自分がどういう仕事をしているかを理解して、そこで得たスキルを他の仕事でも活用できれば、PTは「資格」を使った仕事以外でも、活躍の場を広げることができるのではないでしょうか。だから、仮にPTの仕事が嫌になった時は、自分がやってきた仕事が本質的にどういう仕事なのかを、今一度思い返して欲しいです。

 

― PTが嫌になってしまう若手が多いと聞きますが、何かメッセージはありますか?

山崎:PTが嫌になったら、他の仕事に就いてみるのも一案だと思います。 PT以外の仕事に就いて、自分の考えの甘さに気づくのか、もしかしたら他に適正がある仕事に出会えるかもしれません。PTの「資格」があれば、就職先を選ばなければ、雇ってくれるところはあるはずです。  

 

 

多くの人と接し、喜びを分かち合えるのが経営者の仕事

― 設立8期目で100名以上のスタッフが在籍しているそうですが、独立時点から会社を拡大しようと考えていたのですか?

山崎:スタッフが30人くらいになった時点で、安定的に有給休暇、昇給が見込める会社にしたいと考えるようになり、拡大しようと決めました。

まずは、休暇について。
小規模な介護・福祉業界の事業所は、人材が不足している中、何とか仕事を回している状態なので、スタッフが有給休暇を取ることが難しいんです。あるスタッフが休めば、その代わりに他のスタッフが出勤しなくてはなりません。だから、休暇制度を整備するためには、会社の規模を大きくする必要があります。

次は、昇給について。
これは大卒の新卒者が入社したことをきっかけに、真剣に考えたことです。若いスタッフがシクロに入社して、結婚して、住宅を購入して、という人生の大きな流れを見据えた時に、少なくとも住宅ローンが組み易くなる年収(400万円)は渡せるようにしなくてはいけないなと。そのためには、定期的に昇給させられる会社作りをしなくてはいけない、つまるところ、スタッフの給与に割ける売上(財源)を増やすことが必要なので、会社の規模を大きくしようと。

 

― 会社を経営していて大変だったことを教えて下さい。

山崎:「数字」に追われることですかね。
売上高が400万円程度(損益分岐点)だった頃が、特に厳しかったです。利用者様のキャンセルが続くと、売上高の5パーセント程度が減少することはザラにあるんです。5パーセント=20万円なので、1人分の給料が払えるか、払えないかの瀬戸際になるわけですよ。だから、数字に追われることは多かったですね。ただ、これは規模が大きくなると、半ば諦めがつくようになるんです。20万円なら個人の力で何とかできますが、売上高4,000万円で5パーセントとなると、200万円です。社長一人が頑張っても、どうにかなる数字ではありませんよね。

 

― 経営者としての一番の楽しみは何ですか?

山崎:人(スタッフ、利用者様)が増えていくことが楽しくてなりません。
おそらく会社をやっていなければ、今ほど多くの人と接する機会はなかったと思います。人が増えれば、新しい事業の可能性も広がりますので、それだけでもワクワクしますよ。

ただ、規模が大きくなるにつれて、スタッフと膝を突き合わせて話す機会が少なくなりましたので、今は毎年1回は、必ず個人面談を実施するようにしています。そこで将来のキャリア設計や給料についても話します。 あとは、飲み会。シクロの飲み会は、敷居がない会場で開催するようにしています。そこで、全員にビールを注ぎに回って話をするのが私の恒例行事になりましたね。

 

― シクロの今後について教えて下さい。

山崎:これまでの事業は、私起案の事業が殆どなので、今後はスタッフ起案の事業を軌道に乗せていきたいと考えています。
その一つとして、すすめているプロジェクトが、養護学校等の卒業生に対する就労支援です。これは、障碍を持った方が、実際に働くことができる農園を作ろうというもので、シクロと他の福祉業界の企業がコラボレーションして、取り組んでいます。まだ準備段階なので、詳細はお伝え致しかねますが、大阪近辺で農園を運営する予定です。

シクロでは、スタッフの起案に対して、一定数のスタッフから賛同が得られれば、本格的に事業化を推進しています。これから、シクロを通じて、多くの人に出会い、沢山の仕事を成功させ、喜びを分かち合うことが楽しみでなりません。


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山崎 昌宣 合同会社シクロ代表
1976年10月生まれ、PT9年目。 阪神・淡路大震災(1995年1月)をきっかけに西宮でヘルパーのアルバイトを開始し、大学卒業(2000年3月)後は、介護・福祉業界の企業で、ケアマネ業務に従事。ケアマネとして働く傍ら、養成校(夜間制)にも通学し、2006年3月にPT国家試験に合格。PT3年目の年(2008年6月)に勤務先が倒産し、合同会社シクロを設立。8期目を迎えた2015年9月現在、従業員100名以上が在籍する会社のトップとして日々奮闘中。

 

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